資料集11ー1


        人権と部落(2006.10.NO.751)の本棚
 成澤榮壽(部落問題研究所理事長)「立命館百年史 通史二」(立命館百年史編纂委員会)の要約・解説がある。

これを要約して転載したい。

本書は、大書である。後日「通史三」「資料二」が刊行される。(中略)本書は学園史一般にありがちな主観的叙述や羅列的記述がきわめて少ない。学長、ついでながきにわたって総長を務めた末川博が頻出するほかは、一部の節・項を除き、無暗に人名が出てこない。
学園史の類の編纂に携わったことのある筆者は、類書を見る場合、教授会のほか、「自治」の一環として、学生自治会、学生の部・研究会活動、教職員組合、生活協同組合がどう扱われているかを評価する尺度の一つとしてきた。この観点から通覽しても本書は卓越している。立命館には、苦難の克服を含め、すぐれた自治活動があったからである。
その事実は、「第三章 『大学紛争』と「立命館学園の課題」に特に詳しい。「大学紛争」を高度経済成長の「ゆがみ」から説きおこし、国際的視野でこれをとらえて分析、その克服過程丹念に掘り下げている。
ところで、第三章の「第一節一九六〇年代後半の政治・社会状況と『大学問題』に「四『同和教育』問題」がある。二十二ページにわたるこの項の部落問題記述は内容が実に入念かつ適切で、類書に例がない。総長が「序」に言う「深く立ち入って」「情熱的に叙述されている」箇所の一つであろう。
 書き出しは、一九六七年、立命館大学は「『同和教育』問題という試練を体験した」。その発端は、前年5月、教職科目『同和教育』担当の非常勤講師(当時の部落問題研究所事務局長)の『部落』(本誌の前身)掲載の文書を『差別』と断定した部落解放同盟京都府連(二つ存在した府連の一方。朝田善之助委員長)京都市協議会が末川総長宛に「大学の立場を明確にされる」よう求めた「申し入れが」にある。
 これに対して大学当局は六六年度中に『解同』側と三回「話し合った」大学は件の文書の「欠陥」を認めながらも、本人を「差別者」、文書を「差別論文」と「規定できない」とし、「教学の問題」は「学内で討議を深める」ことを基本的態度とした。しかし、学内の多くの機関が動揺し、体制としては「解同」に屈服したと言わざるを得ない状況さえ生じた。
 六七年五月、産業社会部教授会は「学外からの問題提起」は「同和教育」「担当者の排除要求」で「大学の自治への侵害」、「担当者が不適格」とは「考えない」との内容を含む「見解」をまとめた。「見解」を「学内での公表以前に」入手した「解同」は、七月、同学部を始め、大学に対するきびしい「糾弾」を開始した。
 その結果、「部落問題について」の「誤った認識、差別意識」の「再生産」に「一定の影響をもった」産業社会部の「見解」を「大学として」「是正するための」「措置を取り得なかった点で共同の責任を負う」と認められた末川総長名の書簡を「解同」朝田中央委執行委員長宛に出すことになった。教学担当常務理事名で発表された。同和教育に関する小委員会のまとめた文書「同和教育の総括と今後の方向」に至っては、「われわれの多くは、客観的社会的に差別する側に立たされており、潜在的にか顕在的にか差別意識を有っている」など「朝田理論」と称する「解同」見解を鵜呑みにした表現すら見られた。
 排他主義の「朝田理論」は、部落問題の属性(封建的身分の残滓)に照らし、問題解決に逆行する特異な見解であり、これに基づいて暴力的「糾弾」路線が強められ、部落解放運動を分裂させ、自治体行政を歪め、教育現場や居住地域の日常的諸活動の自由を奪った。
 この点について本書は、産社教授会「見解」を「大学の自治を尊重する点で当然のこと」とした上で、「解放運動内の対立のなかでのいわゆる朝田理論をめぐる状況について認識には甘さがあり、総じて解放運動内の一方の側の」「動きを加速させた」と記述している。
 こうした事態は「いわゆる『民主派』が多数を占めることとなった」昼間部学生で構成する「一部学友会」の活動を皮切りに克服されていく。その後の経緯を本書の叙述で示す。
 「教職員のなかからも、部落解放同盟による一方的糾弾といわゆる『朝田理論』特有の差別観に対する批判的な空気が強くなった」それは「解同」の「いわゆる革新自治体」「攻撃」、「兵庫県八鹿高校の教師集団に対する『糾弾』暴行事件などによってますます決定的になっていき」、「やがて勃発する『大学紛争』を主体的に克服していく過程で」いかなる暴力をも排して、あくまでも民主主義の原則と手続きを大切にし」「大学としての自主的な問題解決をはかっていかなければならない、という合意が全学的に確立されてくることによって不動なものとなっていった」。
 同時に「部落差別や同和教育の問題」も「見直」され。「九四年度から教職課程の『同和教育』は発展的に解消され、新たに一般教育科目『現代と人権』が開講される」など、「『同和教育』は、三〇年の試練を経て現代の課題に沿った『人権教育』として再生を遂げていくことになる」。「『同和教育』問題」の「試練の中で蓄積された教訓」が「立命館大学における『大学紛争』に立ち向かう姿勢の確立に」「大きな役割を果たしたことを強調しておく」(第三章の「はじめに」)。
 部落問題研究所が、朝田府連によって、自ら管理・運営してきた文化厚生会館を不法占拠され、苦難を強いられた事実をも正確に記した「立命館大学と部落問題研究所」という項目も設けられ、わが研究所との浅からぬ関係の事実に詳述されている。
 今日、産学提携の先端を行く立命館において叙述されるであろう「通史三」が本書とどう連結するか、強い関心をもつ。
 図書館などで閲覧されることを望む。(引用文以外は『 』)